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東京地方裁判所 昭和28年(ワ)10296号 判決 1955年6月25日

原告 アメリカン・インターナシヨナル・アンダーライタース・ジヤパン・インコーポレイテツド

日本における右代表者 鈴木祥枝

右代理人 穂積重威

被告 穂積建設株式会社

右代表者 穂積重二

右代理人 長谷川勉

<外二名>

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

理由

証人薄木千代根(第一、二回)同穂積義孝、同林烱光並びに同和田定一(第一、二回)の各証言(但し、和田証人については第一、二回とも、その一部)といづれも成立に争のない甲第一号証の一、二(但し「保険料割合」「保険料」並びに「保険料支払方法」の各欄の記載を除く)並びに乙第二号証に、証人薄木千代根の証言(第一回)によつて真正に成立したものと認める乙第四号証とを綜合すると、次のような事実が認められる。即ち、被告会社では昭和二十七年九月、その所有の浚渫船第一宝津丸を、青森県八戸市鮫港より東京港まで曳航するにつき、右船舶に保険金一億円の保険を附したい希望を有していたところ、原告法人であれば保険料は保険金の一パーセント即ち百万円程度で、右の保険を引受ける見込がある旨を他より聞知したので、被告会社東京支店長常務取締役穂積義孝、同支店勤務社員薄木千代根等は同年九月初旬頃から、原告法人との間で保険契約を締結するため、原告法人の船舶保険部長和田定一と交渉を始めた。そして、保険契約は第一宝津丸の船体及び機関を保険の目的とする保険金額八千万円の船舶海上保険(航路定限は、昭和二十七年九月二十五日頃八戸市鮫港を出帆し、江戸丸―後に初春丸に変更せらる―に曳航せられ東京港に至る片道一航海、但し出帆日時は、後に、同年十月十五日頃と変更せらる)と、被告会社所有の浚渫船用鋼管三十一本及びスチールフローター三十組を保険の目的とする保険金額二千万円の貨物海上保険(昭和二十七年九月二十五日頃、八戸市港から江戸丸―後に初春丸に変更せらる―によつて東京港まで積載輸送せられる航海。但し出帆日時は後に、同年十月十五日と変更せらる)の二口とすることになつたが、保険料については、両保険料を合計して、百万円、即ち総保険金額一億円の一パーセントとしたいとの被告会社側の申出に対し、原告側は二パーセント以上でなければ、保険を引受け難いとして、この点の対立するまま、合意は成立するに至らなかつたが、原告側の和田定一は、本件交渉については、米本国にある本店との連絡や保険の目的たる船舶の検査をなす都合上、とにかく保険契約の申込が必要であるとして、保険契約申込書の提出方を要請し、いづれも保険の目的、保険金額等の各欄には、それぞれ前示の趣旨の該当事項の記載はあるが、当時未だ合意成立に至らない保険料割合、保険料等の各欄は空白としたまま船舶海上保険契約申込書並びに貨物海上保険契約申込書を被告会社に交付し、その記名押印を求めた。そこで被告会社では、右各申込書に記名押印をしただけで、前示空欄の各個所は依然空欄としたまま、これを同年九月十三日頃、原告法人に提出したこと。而してその後交渉を重ね、一週間程を経た頃(即ち九月二十日前後頃)本件の保険料割合は、各保険金額に対し、船舶保険につき一・七五パーセント、貨物保険につき〇・一五パーセント、即ち保険料は前者につき百四十万円、後者につき三万円とする点については原被告間で意思の合致をみたが、原告側の和田は、保険契約成立の時期は保険料の払込を了した時とする旨を申出で、被告会社側も亦これを了し被告会社としては上記保険料合計百四十三万円の支払方法として本件船舶の八戸出港時に、七十三万円を現金で、その余は金額三十五万円の約束手形二通(満期をそれぞれ一箇月先、二箇月先とするもの)を振出す方法によつて支払いたいとの希望を述べたが、原告側の和田は、百四十三万円全額を、本件船舶の検査完了し、出港可能の状態となつた時までに支払うべきことを要求し、若しこの支払が出来ないときは、本件保険契約は成立しない等と述べたが被告会社の懇請により右の支払方法についてなお、両者間に折衝が行われ結局この点に関する被告会社の前示希望通り、出港時に、現金七十三万円、その余は満期をそれぞれ一箇月先及び二箇月先とする約束手形二通によつて支払うことに定まつたこと。而して以上の交渉も前後を通じ、原告側の和田は、被告会社が保険料の払込を了しない以上は、本件保険契約は成立せず、又保険証券の交付もしないし、若し事故があつても保険金の支払はしない旨強調していたし、被告会社においてもこれを信じ、保険契約を成立させるため、約束の保険料の金策に奔走していたところ、原告に対する交渉の任に当つていた被告会社東京支店は、同年十月十四日になつて、本件船舶は同日八戸港を出航した旨現地、八戸から連絡を受けたが、当時、未だに現金七十三万円の金策が整つていなかつたので、ともかく、本件保険契約を成立せしめる目的で、同支店の薄木社員は、同日、取り敢えず、同支店の在り金四十万円と、不足分の三十三万円は同額の被告会社振出の約束手形一通(満期を同年十一月十五日とするもの)を持参して原告側の和田を訪ね、右現金及び手形を提供した上、これを以て何とか保険をかけて貰いたいと頼み込んだところ、和田は、約束が違うとして憤激し、契約は出来ぬ故、持帰れ、無保険でやれ等と言つて、保険の引受を拒否したこと。そこで被告会社では止むなく無保険のまま、曳航することに決しこの旨を前記和田にも連絡し、当時、既に三陸沖を航行中の本件船舶に対し、八戸本社及び東京支店から、航海を厳重にし、且つ、釜石に一旦寄港を指令し、釜石で二日程修理を施し航海事故発生の防止に努めると共に、本件船舶の曳船請負人たる訴外川口運輸株式会社に対しても、本件船舶は無保険なる故、特に安全曳航に力を尽すよう要請し、無事東京に着港した場合は特別報酬金を支払う旨を約した外、その後本船が東京港に向け航行中も、被告会社では徹夜で本船と無電連絡を続ける等その総力を挙げて危険防止に努めたこと、そして本件船舶は、同年十月二十日頃、無事東京港に到着したが着港の前日頃、即ち、本船が航行に危険な鹿島灘を過ぎ、房総沖に差掛つた頃、原告側の和田から保険料は現金四十万円、及び一箇月先払の額面三十三万円の約束手形一通、二箇月先払及び三箇月先払のいづれも額面三十五万円の約束手形二通を持参すれば従前どおり、契約してもよい旨被告会社に対して申出があつたが、被告会社はこれを断つたこと、又本船の東京着航後四、五日経た頃、原告側の和田が被告会社東京支店に来訪して、自分の立場上、非常に困る故、何とか契約してもらいたい旨述べて、保険証券を被告会社で受領してほしい旨頼んで来たが、被告会社ではもはやこれに応じなかつたこと、被告会社は同年十一月二十九日本件曳船者たる川口運輸株式会社に対し、安全曳船に対する契約外謝礼金として四十万円を支払つたこと、以上の事実が認められ、証人和田定一の証言中この認定に牴触する部分は、信用し難いし、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

そこで右の事実関係に徴すれば、本件各保険契約締結に際して原告会社の海上保険部長和田定一は、その内心の意思はともあれ、保険料の支払がなければ契約は成立せぬ旨の強い意思を表示し被告会社においてもこれを諒とし、その資金の調達に奔走したが、結局所定の保険料の一部の提供しかできなかつたところ原告側よりこれが受領を拒否され、ここに保険なしに航海することを決意し、その旨を右和田にも通告し、遂に本件保険契約はその成立を見るに至らなかつたことが明らかである。もつとも当裁判所の真正に成立したものと認める甲第六号証の一、二、同第七乃至第九号証や証人和田定一の証言(第二回)の一部によると、原告法人は昭和二十七年九月二十四日頃ロイヅその他の保険会社と本件船舶保険につき再保険契約を締結した事実が認められるが、それは保険会社において保険契約者が必ずや約定の保険料を調達し来り、結局、保険契約は成立するに至るべきことの予想の下に再保険の挙に出るなど、かようなことは稀有の事例とも称し得ないので原告がこの再保険契約の締結をしたとの事実を以て、前段認定を覆し本件保険契約が原被告間に成立したとの事実を肯定することはできない。

また本件の如く保険契約の成立しない限り原告援用の鑑定の結果によるも前認定に影響を及ぼし得ないことは明白である。

されば本件保険契約の成立したことを前提として、その保険料の支払を求める原告の本訴請求は失当として棄却すべきものであるから、民事訴訟法第八十九条に則り、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 柳川真佐夫 裁判官 守田直 松井正道)

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